名前(所属)
タナカツカサ(現在:フリーランス)
生年月日
1973年5月8日(52歳)
出身~転勤族~自身の就職で上京
松山~鹿児島~都城~福岡~和歌山~姫路~愛知~高松~松山~東京(就職)→いまここ
【田中の要約① これまでのこと】
大学を卒業した後、新卒で東北新社という映像制作会社で27年間、お世話になりました。
最初の3年はCMを中心に、広告映像の制作職(プロダクションマネージャー)としてキャリアをスタート。クリエイティブのイロハもわからず、就職で上京。苦労もたくさんありましたが、優秀で尊敬できる諸先輩やスタッフさんに恵まれ日々精進してきました。
当時の東北新社(映像制作会社)で広告映像の業務を担当する場合、「①制作職(プロデューサー・プロダクションマネージャー)」「②企画や演出職(プランナー・ディレクター)」に分かれていました。(私は①としてキャリアをスタートしましたが)3年経ったくらいに②の職務に興味・関心が高まり、②が担当できる部署に社内異動を志願しキャリアをリスタートさせました。
異動先の部署はCMに特化した部署ではなく「色んな映像」を担当する部署でした。②を担当する為に異動しましたが、新しい部署には広告系の①の経験者が少ない状況でした。職務環境が変わり、リスタートには苦労も沢山ありましたが、部署に貢献できるのであればと【映像の「①企画・演出」と「②プロデューサー」の両方を兼務しながら】様々なジャンル・種類の映像に携わることにしました。
その後。私の場合は広告系でもテレビ系でも大きなパフォーマンスを要するものでない限りは、プロデュースと演出を兼務しながらお仕事を遂行してきました。理由はシンプルで「お客様から田中にお声掛け頂いたお仕事には、田中の全力をもってお応えしたい」というものでした。
周りをみると未だに「映像のジャンルは色々経験があるプロデューサーや演出(ディレクター)」は、それぞれの職種でたくさんいらっしゃるのですが「プロデューサーと演出」を兼務するスタイルは(特に広告系では)今でも珍しいと思います。
お客様のどのようなお話にも付いていける事が多かったので「なんで兼務できるの?」「どんな経緯で兼務できるようになったの?」という問合せを(もちろん良い意味で笑)ずっと頂戴してきました。
振り返ってみて。自身の仕事を良い意味の解釈をすると「1人に相談すればいろんな話も大体把握して対応してもらえる」「その仕事全体のハブとして機能するのでコミュニケーションが楽」という部分もあり重宝して頂いてきたのかなと思っています。
しかしここまでの道を種明かしをすると。私としては「人とは違う道で、人より遅く」演出業を目指すことになり、お仕事を頂くためには必死で「自分のすべてを投入していくしかない」という中で編み出したスタイルでした。未来は誰にも分らないのですが、誰しも「自分に合う仕事、やりがいのある仕事、(物理的に)長く続けていける仕事」などを模索しながら過ごしていくと思うのですが「27年勤めた会社で退職日当日まで制作現場に立ち」「あと10年くらいはこの仕事オンリーでも体力は持ちそうかな」と思えたことは、私の財産の一つだと感じています。
【田中の要約② 約12年を経て自身の未来のために退職を決意】
私は、東日本大震災を都内で経験したのですが、当日は都内で取材をしていました。すべての方々に多くの傷跡・爪痕などを残した出来事ですが、私の場合は「人生の後半戦〈定年退職後以降〉に向けて、しっかりと考えよう、日々に追われずに本気で考えていこう」と思ったキッカケにもなった出来事でした。
とはいえ。自身のことだけではなく家族のこともある中「未来は未踏の歩み」です。震災時に私にやったことは「自身のライフステージを可能な限り本気で想像し、自身に起こりうる分岐点がどのタイミングでくるのかを考える」ということでした。その視点で考えると、私が考えうる未来の分岐点は「順調に進み、定年退職を迎える」タイミングだけではなく「48歳くらいから52歳くらいに来る」ことが見えてきました。そのことを念頭に置きながら、どちらの道も意識しながら精進を続けていた中、会社初の早期退職制度が発動。当時49歳のタイミングで現状を考えた上で「東北新社での社会人生活は卒業しよう」と退職を決意しました。
【田中の要約③ 未来に向けての準備・自身の現状を整理してみた】
多様な社会人人生がある中、私のように会社勤めを続けて来た人にとっては定年にあたる【60歳】が折り返し地点のイメージを持たれている方がほとんどだと思います。私も同じです。60歳を目安にした「人生の後半戦」としての【働くこと】の選択肢として想像できたのは「①シルバーワークを選んで働いていく」か「②自身の知見を生かしてシルバーワークにしていくか」でした。そこで私が思ったことは「60歳を迎えた時。後半戦の為に一旦停泊してから出向するよりも、ゆっくりでもいいから出航はしておきたいなあ」ということでした。見えてきたことだけを整理すると、私が今思いつく中で考えていることは「今すぐには決められないが①②の選択肢を持てるか試してみたい」という事でした。私は①に対してネガな気持ちはあまり持っていません。色んな仕事を色々経験していくのも自分にとっては楽しんでできることだろうなと思っているからです。ただ思ったのは②の道を考えずに①を取ってもいいのか??という事でした。
【田中の要約④ 未来に向けての準備・自身が今、想像できるイメージを固める】
次に、私が②今後の為にやらなければならない事を考えました。今までの働き方(特技・武器と呼ぶようなものです)だと長くて10年で職業の寿命は来ると想定する。以降、少しでも長く特技・武器を生かして働くのであれば。何らか変化させていく事が必要。と考えました。予測できない未来において、自身も高齢化を実感していくことで「いつまで働き続けられるのだろう」という事も今まで以上に意識していくことになるでしょう。体力や気力の問題は、その時になってみないとわからないのでさておきです。どんな未来が待っているかはわかりませんが「映像の仕事に関わっていくかどうか。関わっていけるにはどうしていけばより良いかを、楽しみながら一つ一つ試してみる」ことにしました
【田中の要約⑤ 未来に向けての準備・自身が具体的に始めたこと】
以下から始めていますみてます。
未来への準備として色んなチャレンジを選定し、今後も新しい視点を作れる経験を積み上げていきたいと考えながらも色んな人との出会いも大事にして行き、みんなで色んな事を楽しんで良ければいいなと考えています。
★無人航空機操縦技能(ドローン)二等を取得 →2024年9月末に取得
自身の経験の幅を広げる為に「空撮」からチャレンジしていますが「ドローン+α」の未来は想像を越えて色んなことに関わっていきたいなと思っています。例えば、観光系では「街の紹介を通じたインバウントやアウトバウンド」への関り。インフラ系や自治体系としては「地方、地域や社会の取り組みを紹介したり、教育として世代への貢献・災害時における緊急時への協力」。まだまだ知られてない業界や企業などの「技術」の記録を撮影したり。得意の取材を通じて、「ドローンで何かしてみたいな」と思っている方々と一緒に、色々なコミュニケーションを膨らましていくお手伝いなどが出来たらなと考えています。
★求職者支援訓練を利用し「Web」の知見を増やす →2025年3月に修了
こちらは「仕事で関われる方をふやす」「自身から未来への発信」などに、繋げていきたいと考え受講しました。このサイトは私がすべて手作りで制作したものです。
見えている「やってみたいチャレンジ」はもう少しあるのですが、少しでも前を見ながら通過点としてのフラッグを立てながら過ごしていきたいです。
★近況★
「50歳からやってみた」実践中
・はじめての早期退職
・はじめてのハローワーク
・はじめてのリスキニング(ドローン・WEB・他も検討中)
・はじめてのオンラインゲーム(海外を知る!話す!)
・はじめてのNISA(資産運用の勉強)
・はじめての確定申告(健康保険や税金、年金の切り替えなども)
・はじめて「インフラ点検・補修」を受け持つ会社を取材してみた



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